新しい教団の始まり

仏陀の教えが根源

日本には多くの宗教があるのですが、そのほとんどが仏教徒だと言われています。特に個人の認識はないのですが、身内が亡くなると、お坊さんを読んでお経をあげてもらいます。お墓に埋葬するというのもそうでしょう。宗教の教えでそうしているということではなく、今までがずっとそうだからということで行っている人がほとんどです。宗教に対しての認識が以前とは変わってきているということなのかもしれません。
日本では仏教はさまざまな宗派に分かれています。しかし、教えの根源となるのは仏陀ということになり、宗派は違っていてもそれに関しては違いはないのです。

真如苑という教団

真如苑という教団が1936年に誕生しています。戦前から戦後にかけて、立川飛行機製作所で航空エンジニアをしていた伊藤真乗は、世の中が不安定になっていた時期に、京都の醍醐寺に出家し修行を重ねています。
というのも、仲間の相談相手になっていろいろな相談を受けていたところ、その人柄や家伝の易学もあって、仲間以外にも相談に来る人が集まるようになっていたのです。
集まってくる人たちの役に立ちたいという思いもあり、さらには、運慶作と言われる不動明王を迎えることになります。さまざまな考えの中で、妻と一緒に宗教家になることを志すのです。
1940年には宗教団体法が実施されているので、なかなか思うように宗教活動を行うことができません。より自身の修行に打ち込むようになり、醍醐寺の座主である佐伯恵眼大僧正猊下が、修行を指導してくれたそうです。
真如苑の特徴となるのは、出家せずとも、在家のままで出家者と同様に仏道を歩むことが出来る点です。大般涅槃経をひもといた開祖の伊藤真乗の思いなのです。
多くの新興宗教の場合、出家信者を増やすことを考えているようですが、真如苑では、出家も在家も同じといった考え方が大きく異なっています。

真如という言葉

真如苑の「真如」にはさまざまな意味が含まれています。根本的な意味としては、心理を意味していて、あるがままであることということです。真如苑の名前の由来としては、他の意味として、「今を生きる一人ひとりが、み仏の教えを学びながら、それぞれの生き方の中に幸せを見出していけるように」という思いが込められているのです。
日本のみならず、海外でもこの教えを広めるために、国内だけにとどまらず、世界で20カ国ほどに寺院を建立しています。国内では90万人ほどの信者がいますが、海外にも10万人ほどの信者がいるのです。
開祖である伊藤真乗は1989年に亡くなっていますが、その思いを継いだ娘である伊藤真聰が跡を継いで継主となって真如苑の教えを広めているのです。